2013年10月30日水曜日

丘の多くは農家の方の作業場、という現実があります。


今年こそは・・・、今年だけは・・・、今年くらいは真夏の繁忙期に入っても10日に1度くらい更新したかったこのブログ・・・。結局6月15日の記事を最後に、4か月以上も放置してしまった・・・。かろうじて(言い訳みたいだけど)、Facebookの更新は多少はやっていたので、この夏何がどうなったのかを思いだすのには都合がいいですね。ブログを蔑ろにしてFacebookに記事を(というかまぁアップするネタを)更新していると、そもそもブログで何をどう表現しようかと少々考え込んでしまう自分がいます。もともとは「美瑛の今」や「当館四季のあれこれ」をお伝えするのが主眼で、そこに僕個人の趣味や個性が重なって、このブログらしさが醸されて行けばいいのかな、と思っていましたが、主眼の方は概ねFacebookで事足りてしまう。お知合いの中にはFacebookに統一して、ブログは止めたという方もいます。

そんなことをもやもやと考えているうちに、こちらのブログの方はより「僕と言う個人」がもっと出ていてもいいかな、と思うようになって来ました。Facebookの交流度と比べたら断然狭いブログ。こんなものを見て(読んで)下さる方は、きっとFacebookの記事に飽き足らない人に違いないんじゃないかな、でもって僕自身の少々微細な覚書的な存在でいいように思えて来ています。
僕個人の感覚では、Facebookに長々と文章をつづるのは少々いただけない。サラッと書いて、後は写真やリンク先でどうぞって感じ。鮮度の良さみたいなものが大切。ツィッターまでは手を出せていない(今後も予定なし)ですが、単刀直入の意見があれこれと交流して情報交換が活発な感じ。となると、ブログはやっぱりだらだらと文章が長引いて、自己完結もいいよね(でも、その分大変だし、個人の中身が見えちゃうけど)と、どうにか自分を納得させています。

とまぁ前置きが長いのは相変わらずの僕らしさでご容赦いただきたいところですが、今回のお題は秋の美しい美瑛の風景に酔いながら、観光地としての美瑛への思いです。
と言うのは、昨年(2012年)から今年にかけて、美瑛の観光地としての根本的な問題が表面化して来ています。これは美瑛の美しい風景が、丘=畑=農作業の現場=職場=私有地ということに直結しています。僕自身が、そして観光や旅行で美瑛に足を運ぶ人が「うわぁー、綺麗だなぁ」と言って眺めているのは、紛れもない私有地=個人資産ということになります。
そんな丘の風景を、個人の旅の思い出として写真に収めるくらいのことは何も問題にはならないと思いますが、丘に足を踏み入れる、丘の風景や農作業の様子を写真にして販売する、さらには農作業者に「綺麗な景色が見たいから、トラクターを移動して欲しい」と要望する、畑にクルマで入ってぬかるみにはまり、農作業者に救助を請う・・・などなど。書けばきりがないくらいに個人資産としての丘の風景は、危機にさらされています。

これが国立公園、のような存在であれば、国が遊歩道と柵を設置し巡回する監視員兼ガイドを配備し、と手が打たれることでしょうけれども、私有地の畑を守るために税金投入はできません。

美瑛の丘が柵もなく立ち入り禁止看板もなく、という現状は、実は農家(丘と言う資産の所有者)と観光者・旅行者間の最低限の信頼関係があったと思うんです。旅行者が勝手に畑に入ったり作業の邪魔をしないかわりに、お金のかかる柵や看板はなくてもいいや、ということではなかったかと。
ところが2012年度の美瑛町の観光入込数は140万人。お恥ずかしいお話しですが、美瑛に来て間もないころ、僕は「そこは入らないで下さいよー」と農家の方から注意されたことがありました。え、あぜ道なのにダメなの?と思った僕ですが、未舗装部分は畑の一部と言うのが美瑛の丘の基本です。僕からしてその程度ですから140万人の旅行者の皆さんの中には「ここはいいよね?」と少しの悪意もなく畑に入ってしまう方も大勢いるはずです。さらには「ちょっとだけ麦畑の中で写真撮りたいな!」とさらに1歩を踏み入れてしまう人も・・・。

美瑛の丘が、柵だらけ・看板だらけにならないように、どうしたらいいのか知恵を出すことを迫られています。ここでサービス業をなりわいとして生活する僕たち自身が、一番気にしないといけない問題が、もう避けて通れないところまで来ています。
美瑛を訪れた人があたたかい農家の方とのちょっとしたふれあいの瞬間を持っていただけるように、どうしたらいいのか。ただ「あれダメ、そこダメ」と声高に叫んでみるばかりではなくて、それぞれの(農家&旅行者)という立場を、それぞれが信頼し合うことができるように、どうすればいいのでしょうか?いろいろな水際作戦が立案されていますが、それは即効性のある策として実施していただくとして、一方で農作業というものを知る機会があまりに無さ過ぎるように感じてもいます。農作業や農作物を連続的に続ける実情を知れば自ずと「畑に無断で侵入する」ような行為が減って(さらにはなくなって)行くような気がします。