2014年3月26日水曜日

春を待ちながら、美味しいケーキに思いを馳せて・・・。

裏庭の雪を、片付け始めた昨日。さすがに腕・肩・腰共にけっこうな筋肉痛が襲い(たぶん明日にはもっとひどくなる予感)、この季節特有のちょっと不思議なあわただしさに包まれています。北海道では春の訪れは4月下旬(あたりではないでしょうか?)。とは言うものの、3月に入ると日は長くなり、雪が融けはじめ、春の予感はあちこちに見つけることができます。そうなると春恋しい気持ちの強い北海道の人たちは、せっせと準備を始めるんです。その一番典型的なものは、敷地内の除雪ではないでしょうか・・・。あと2~3週間も待っていれば自然に無くなってしまうのですが、それさえ待ちきれない。別に邪魔と言うわけでもない場所でさえも、傍目からしてみたら「敵(かたき)」のように除雪に余念がない・・・。大きな声じゃ言えませんが(って力いっぱい書いちゃっていますが)、僕自身は雪景色の美しさは大好きなので、正直雪融けはちょっぴり名残惜しい気分。まぁここはよそ者の僕と、北海道育ちの方との感じ方のギャップは埋められませんし、ましてや生業として農業をやっていらっしゃる方からしてみれば、農作物の出来栄えに大きく左右するわけですから「雪景色が好きです」なんて、のん気なことは言っていられない・・・。

さて、そんな雪解けの進む美瑛は、現在積雪67cm(気象庁データ。3月26日午前3時現在)。ピーク時101cmありまたから、おおむね3分の2まで無くなって来ました。僕が当館「四季」の周囲の雪を片付けているのは、雪がイヤってことは全然なくて、敷地内の春の準備を少しずつ始めたいからです。花壇に花を植えたり、物置小屋に除雪用の道具を仕舞い、自転車を引っ張り出したり、そうそう、今度の冬のために少し薪割りもやっておこうかな。何かとぼんやり暮らしている僕も、この時期ちょっぴり気ぜわしくなるのです。

気ぜわしさにもうひとつ加担して、ちょっぴりお菓子のお勉強を始めたい、と思い立ったこの春。もっともその気持ちは昨年の秋から抱いていました。いつしか当館でお出しするお料理の最後のデザートが、何となく定番化してきたこの頃。季節感を取り入れながら、その時々にこの地で獲れたフルーツを使いながら作る焼き菓子に、自分としては納得できていたつもりでした。
きっかけは1本の映画、晩秋に札幌のシアター・キノで見た「大統領の料理人」でした。次々にスクリーンを彩るお料理とケーキの数々は、もちろん食すことはできないのですが、見るからに!美味しそう。そこには料理(やケーキ)で、出来うる限りの感動を提供しようと言う強い意志が込められていました。僕にとって料理って、感動を得るための何かだろうか・・・?そう考えてみても、明快な解は無いような気がしますが、目の前にあんなに美味しそうな料理やケーキが出て来たら、難しいこと抜きにとっても嬉しいに違いありません。当館「四季」の料理やケーキは、オーナーの自分たちからしてみたら一番の「個性」にしたい部分(いわゆる当館をお選びいただく、大きなファクターのひとつ)ですが、ホンネを言ってしまうと、押し付けでもあります。美味しさの押し付け、いいでしょ(と、自画自賛)。美瑛(はじめ、この道央地区)で獲れる野菜や果物を、ぜひ美味しく召し上がっていただきたい。そのためにこんなお料理とお菓子をご用意しました、さぁお召し上がりください!と、言葉にしたらそんな感じ。ご予約下さった方にお送りするご案内の末尾に、いつも“お腹を空かせてお出で下さい”と書いてしまう私たちは、やっぱり食いしん坊なんでしょうね。

えーとちょっと脱線した気がしないでもありませんが、この1年、お菓子作りの基本に向き合ってみようと考えています。実は美瑛や旭川にいくつかお菓子作りの教室がありまして、ちょっと行ってみたいな、と思う気持ちもあります。でも、その前に基本的なことをもう一度・・・。たとえばホィップやメレンゲの泡立てだって、どこがベストなのかわかっていない気がするんです。この場合はちょっとしっかり目に泡立てて・・・と意識してはいますが、しっかり目ってどこまでだろう?
そんなあれこれがいくつか納得できるようになったら、バリエーションを増やしてみたい。食事の最後にお出しする焼き菓子や冷菓が、そんなにたくさん食べていただけるはずもありませんが、できれば種類が多い方が嬉しいですよね。あれこれちょっぴりづつ。季節感を大事にしながら美味しく、綺麗に。美味しいものって理屈抜きで嬉しいんだ♪これを押し付けないなんて、当館「四季」じゃないですよね!

2014年3月2日日曜日

素晴らしかった、ソチ・オリンピック・・・。



ソチ・オリンピックで総合4位でメダル獲得ならなかった、女子ジャンプの高梨沙羅選手が、ワールドカップ第14戦(ルーマニア)で優勝して今季11勝目を挙げ、昨年に続いて総合優勝に輝きました。
http://topics.jp.msn.com/sports/general/article.aspx?articleid=3507203
まだ5戦残して、ということらしいけれども、14戦中11戦で優勝し、3位までに入らなかったことが1度もない高梨選手が、オリンピックではメダルに届かなかった。数字的な確率からしたら、まず起こりえないくらいに不思議とでも言ったらいいかもしれない領域ではないでしょうか・・・?

4年に1度のオリンピックが、ソチで開幕したのは2月6日。熱戦に次ぐ熱戦が繰り広げられて、23日に閉幕しました。このオリンピックで色々と思わされたことがあるので、個人的なメモとして書き残しておきたいと思います。

【大会前の過熱報道に感じること
冒頭に書いた高梨選手と、女子フィギア・スケートの浅田真央選手は、メディアの大会前にすでにメダリスト扱いだったと言ってもいいくらいです。メディアの宿命は話題性のクローズ・アップですから、実績や人気や調子などなどから、半分は作り話をしてしまう。
一方でメディアから情報を得る読者(僕も含めて)は、その真偽を判断する材料もさしてないままに、程度の差こそあっても期待を膨らませてしまいます。そして実際に競技が始まり、残酷にも(?)現実としての結果が出ると、今度はまたメディアのメディアらしい分析が並びます。
あおるメディアとあおられる読者の狭間で、選手たちはどういった状況に置かれるのでしょう・・・?一面では、プレッシャーは糧になるとも。日の丸を背負わされた選手からしてみれば、個人差はもちろんあれど案外慣れっこなのかもしれないし、そうではないかもしれないし。こればっかりは選手にしかわかりませんよね。ところがメダルと言うわかりやすい結果から推察すると、意外にも注目をそれほど集めていなかった実力者たちが順当に、あるいはそれまでの実績以上の結果を残しています。竹内智香選手なんかは、そんな例かもしれないですよね。
そんなわけで、メディアの注目度はやっぱり行き過ぎていたんじゃないかと思えてなりません。選手の競技スタイルやライバル選手の紹介にとどまらず、選手のプライベートの奥深くにまで踏み込んだ報道が、けして選手にとっていいわけではないことは明らかです。そうまでして選手の私生活を引っ張り出してくる実情は、見る側にも自制が必要かもしれませんね。

【竹田恒泰氏のつぶやき
これはインサイドで出回れば良かったのになぁーと。確かに竹田氏のつぶやきは一理ある、と個人的には感じました。ここ数年の夏・冬のオリンピックメダリストたちが、メダルを噛んで写真に写ることに違和感がありましたし、惨敗後に「いい経験できました」も何か勘違いしているような気がしないでもない。ただ、それは広く世論に流れ出て来るものではなくて、選手(とその関係者)に届けばいい類の内容です。
たくさんのつぶやきの中には、少々上から目線過ぎて鼻に着く内容のものもありました。竹田氏にしてみれば、誰かが言わねば、という気持ちもあったのかもしれません。まぁ起きてしまったことにあれこれ言うのも、安易と言えば安易ですけれども・・・。

【オリンピックと言う祭典は、素晴らしかったけれども・・・
日本人として、日本の選手の活躍ぶりが手に取るように伝わって来て、とてもいいオリンピックでした。また、日本選手にとどまらず、各国のアスリートたちのそれぞれの競技も素晴らしく、技やスピードや美しさを堪能しました。この点について、メディアの果たしてくれたことを、率直に評価したい気持ちです。
一方でちょっとやり過ぎではないのか、と思えてならないのが、感動の押し売りのような展開です。選手はその競技にすべてを賭けて、オリンピックに臨んでいることでしょう。でも、それは他の選手もそうですし、選手じゃなくても人間皆同じです。誰しも人生を賭してそれぞれの暮らしに対峙していると思うのです。曲りなりにも、僕だってそうです。そして比較にならないほど小さな世界ではあるけれども、時に挫折感を味わい、あるいは感激し、嬉しくて涙することだってあるわけです。それを無視して、どうだオリンピック選手のこの人生、この生き様、この立ち居振る舞いに、感動・感激したくてしょうがないんじゃない?と執拗に迫られても、ちょっと引いてしまう。

18日間のオリンピックは終わり、祭りの後のような惜別感が残りました。また4年後、今度はどんな競技を見ることができるのでしょうか。大好きな選手のプライベートを密かに追う、ということが憧れ的にあってもいいのかもしれませんが、スポーツの祭典の見どころは、あくまでも競技そのものだと思いました。

2014年3月1日土曜日

富良野線のありがたさを感じながら・・・


クルマが好きで、運転が好き。そんな僕ですからJRに興味がないかと言うと、実は鉄道の旅も大好き。駅って何とも不思議な空間で、ここからいろんなところに繋がっているかと思うと、わくわくしちゃう。空港も大好き・・・。

あと、2か月ちょっとでJR北海道の江差線が廃線になる事が決まっていて、我が町美瑛を行く富良野線のことが気になってしまいました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%B7%AE%E7%B7%9A
それにしても北海道の鉄道の歴史は、炭鉱ラッシュとでも言えばいいのでしょうか、往時の路線図からどんどん目減りし、さらに廃線化していくさまが、あまりにも強烈です。いつのものかわかりませんが、全盛期、2004年、現在(2014年)の路線図を見ると、スカスカになって行くのがわかります。
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/006/487/46/1/116523042215626946.jpg
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/006/487/46/1/116523898015612932.jpg
http://www.jrhokkaido.co.jp/network/barrier/maptop.html
1968年(昭和43年)に当時の国鉄諮問委員会が提出したいわゆる赤字83線が、その後どんどん廃線化され(江差線もその一つですけど)、あるいは民営化された後に廃線化されて現在に至る様子は、特に北海道で顕著だと思います。

現在のJR北海道を語る場合に、大きなふたつの出来事が挙げられます。ひとつは国鉄からの民営化です。1987年に6分割+貨物で7つのJRに分けられたうちのひとつJR北海道は、たっぷり(と言えるかどうかはビミョーですが)の持参金(経営安定化基金)とともに民営化されました。しかし、そもそも利用者数と経費から割り出される経営指数は、たちどころにほころびが出てしまう。
ひとつの例として根室本線池田駅から北見駅までを結ぶ、いわゆるふるさと銀河鉄道は、年間利用者200万人を超えていた網走本線時代とはうってかわり、2003年には50万人を切ってしまいます。途中鈴木宗雄衆議院議員の名前も出てきたりしながら2006年に廃線。結局利用者数激減の波はいかんともしがたく、路線バスへと使命を譲る運命をたどりました。
もうひとつのJR北海道のターニングポイントと言うと、2011年5月の石勝線におけるスーパーおおぞらの火災事故。これはJR北海道の民営化スタートの行く末に、起こるべくして起こった人災なのかもしれません。事故はJR北海道の体質に依るひとつの現象ですから(まぁ氷山の一角みたいな)、次々に事故は続いてしまう。果ては安全管理のためのデータ改ざん、元社長の自殺にまで発展。国土交通省も異例の3度の改善命令を発令します。

こんな変遷の末に、最近目にするのは、JR北海道を批判する世論です。存続自体を否定する論点は、安全を確保できない経営体質なんだから、もう止めろと・・・。函館まで新幹線が乗り入れることが決まっていますが(最終的には札幌を越えて旭川まで、ということらしいですが)、新幹線の運営をJR北海道に任せられるのか?という意見も。僕の目にする限り、一個人の、しかもテクニカルな分野に精通しているような人ではない人の短絡な視点に見えますが、シンプルに考えたら事故ばかりの路線を放置できないって言うのもわからないではありません。2012年の日平均利用者数一桁の駅が、およそ400あるうちの118駅もある北海道・・・(ちなみに美瑛駅は240人で、全北海道中113位)。

トンネルのない富良野線を行くJRの横を、国道237号線が並走しています。国道にはバスが運行されている。したがって、廃線に伴い、バスへの切り替え準備が出来ている、とも取れますが、現状はJR、路線バスとも採算に乗れていない(どちらか辞めたら乗るかは知る術もありませんが)。
富良野盆地をとことこと行く富良野線、そして厳冬の真っ白い世界を粉雪飛ばして走る富良野線。どちらも北海道の(そしてこの上川地方の)素晴らしい景観であると共に、地域住民のなくてはならない生活インフラ。都会(札幌とか新潟を除く)から比較すれば、こんな雪国で、冬は止まっているときの方が多いだろう、なんて危惧される意見もありますが、僕の知る限り富良野線が雪で運行を止めるなんてことはありません。いつまで富良野線が走り続けることができるのか、値上げするのか、補てんするのか、本数さらに減らすのか、ノロッコやめるか(夏季に営業する展望列車)、旭川空港まで乗り入れて活路を見出すのか、その合わせ技か、やっぱり廃線しかないのか。

便利で大好きなクルマを運転することが多いけれども、それでも年間10往復以上美瑛・旭川間を利用する僕にとって、できることなら富良野線は存続させていただきたい。乗れば、その利用者はほとんど学生(高校生)と高齢者。
一番の解決策は、利用者の増加なのだとは思う。現実に、あくまでも主観でしかないけれども、旭川市は住みやすい街。医療(国立の大学病院、ほかに総合病院2院)、文化、学校、交通(旭川空港、函館本線)、そして北海道の食。ここに移り住むまで恐れていた真冬の寒さと雪だって、1度暮らしてしまったら全然苦にならない。むしろ本州の真冬の寒さ(家の中)と、真夏の暑さに比べたらはるかに快適なレベル。このあたり、うまく発信しきれていない。

少しずつ少しずつ過疎化が進む北海道の小さな街を結ぶJR富良野線が、消えてなくならないことを期待したい。部外者(ここに(広くは北海道に))住んだこともない人たちから表面的な批判をされてしまうのも仕方がないのかもしれないが、合理的に変えて行くことだけが住みよい街づくりになる一つの答えではないはずだ。