2014年4月30日水曜日

他愛もなく・・・(廃品回収業者とのやり取りにて)。

突然実家の電話(黒電話)がリリリリリーンと鳴り(まぁ電話っていつだって突然ですよね)、誰もいない実家で仕方なく(僕にかかってくるはずもない電話に)出てみると、廃品回収業者が訪ねたいと要件を伝えてきた。どうもこちらの氏素性と言うか何と言うかはほとんど把握できていない様子だけれども、35年前に新興住宅地だったこのあたりが20年前にはあくまでも地方の小都市ながらそこそこの住宅地になって知名度を上げた時期があったので、住所だけをあてにしたロール作戦的な飛び込み営業のようなものだったと思う。僕にしても少しずつ過ごす時間の少なくなるこの家に、残してはいるけれども持っていく予定のないものがあるので、時間を取り決めて受話器を置いた。
果たしてその翌々日の今日、業者の人間が訪ねてきた。衣類や本、フィルム・カメラやLPレコードを見せて欲しいと言う。実のところ彼は、骨董とは言わないまでもしかるべきメーカーのしかるべき高級品(腕時計とか)に一番フォーカスを当てたい様子だったのだが、僕(と家内)にその手の趣向はほぼないに等しい。それであらかじめ少し用意しておいた持ち物を見てもらうことにする。
◎衣類。
◎フィルム・カメラ(Canon Kissの初代版。レンズなし)。
◎LPレコードとEPレコード。
◎レコード再生用のターンテーブル(プレーヤー)。
衣類とカメラは引き取れないとあっさりパスされた。LPについてはクラッシック、ニューミュージック(これって死語かな・・・?)、ロック、歌謡曲とまぁまぁ代表的な、そしてもちろん古いものをチョイスしておいたところ、ロックにのみ興味を示し、概ねビートルズなどの作品(赤版&青版なんて言ってたから、そんなのマニア受けするはずないのに・・・と懐疑的ではあったのだけど)等のみが貨幣価値があると教えてくれた。実はビートルズは少し手持ちがあり、アビー・ロードには100円の値付けをされた。同じようにロッド・スチュワートとローリング・ストーンズにも同じ値段が付き、ロキシー・ミュージックは(かなり保存状態が良かったにもかかわらず)価値がない、ということになった。せっかくなので値段をつけると申し出た3アーティストの作品だけを合わせて20枚ほど見せてみたものの、いやもうこれで十分だと言って、500円だけ置いてお引き取りなった・・・。ビートルズのEP(ラヴ・ミー・ドゥ)にもターンテーブルにもあまり興味を持っていなかったようだ。

結局のところ価格は二の次で思い切って持ち物を整理したかった僕の思惑は外れ、数枚の(5枚の)LPだけが無くなり、500円が手元に残った。LPのレコード盤を少しずつ買い集めたのは、高校に入ってからだ。もちろん当時の僕にとってかなり高額品だったので、手に入れるためのいきさつ(たいていは涙ぐましい努力)や最初に針を落として聞いた瞬間の記憶など、どれも思い出深いものばかりだ。もちろんそれで未だに手放せない現実があるわけだけれども、一方で音楽をLP版で(ましてやEP版で)楽しもうと言う向きはどうなんだろう・・・?ファン・クラブに入って特定のアーティストの個人に若干でもかかわろうとするタイプでは全くない僕にとって、音楽はミュージシャンの作品として個人からは切り離された存在だ。あまり敬意を表されないことになるのを少しは危惧しながら言えば(書けば)、そのアーティストの人格がどうであっても、その音楽を好きになってしまうことはありそうだ。さらに現実的には、ミュージシャンの人となりなんてほとんど知らないままに、その作品としての音楽を楽しんでいる。
そんな僕にとって、ターンテーブルで聞く音楽と言うのはどうしても(どんなにその作品に傾倒していたとしても)、CD(あるいはDVDでもなんでもいいんだけど、とにかくデジタルのメディア)で聞くやり方に敵わないように思えてしまう。LPには(LPしかなかった当時に限定して)録音当時の息遣いが残るとか、CDもLP版の音源(たぶんマスター・テープ)からリ・マスタリングしているとか優位性(あるいは劣勢の少なさ)を懇切丁寧に説明されても、あの盤を裏返す行為だけでも面倒ではないだろうか・・・?ましてや曲順を替えたり(あるいは飛ばしたり)など、できようはずもないのだし。もちろん僕の知らない範囲で、僕の所望する機能を満たす機器は存在する可能性はある(たぶん現実にあるんじゃないかと思う)。でも、それは間違いなく非現実的な価格なのだし、それからもうひとつ(と言うか決定的なことなんだけれども)、誰でも知っている通りデジタルの方が音がいい。音の良しあしについて、決して神経質になるほどではない僕でさえ、やっぱりデジタルの音のクリアな感じは、LP版ではないものだと思う。

まぁそんなわけで、幸いにも(ひょっとしたら不幸にも・・・かな)LP版に対するセンチメンタルな想いはあまり持ち合わせていない。ちなみにビートルズとストーンズとロッド・スチュワートが同じ価値と言うのにはこれまた少し驚いた。ロキシー・ミュージックなんていかにもマニア受けするバンドだったし、ポップなロッドより価値はありそうに思えたんだけど、いらないと言われたのは意外だった。もちろん僕がこのジャンルの価格的な価値を少しでも理解しているかと言えば全くそうではないし、引き取って行った担当の方だって多少のズレ(とか個人的な趣味とか、会社の方針とか)もないことはないんじゃないのかな・・・。

それにしても、思春期に買い集めた音楽の趣味をあらためて眺めてみるのはとても興味深い。それは極論すれば古い日記帳のようなものなのだ。当時の今よりはるかに未完成な自分が、手に取るようによみがえって懐かしくも恥ずかしくも、儚くもある。自分で見ているからいいようなものの、あまり人に見てもらうようなものではないのかもしれない。
古い日記帳の一部であるのなら、たとえ5枚と言えどもやっぱり安易に手放してはいけなかったのだろうか・・・?

2014年4月29日火曜日

他愛もなく・・・(アリス・マンローを読みながら)。

超割り、という範疇の今までにない割安運賃でエア・チケットが入手できるように昨年あたりからなっていた。最寄りの旭川空港から中部空港まで行くのに、少し気軽になった。行きはフェリーで、帰りはANAの超割りでスケジュールを決めて、ひさしぶりの帰省を予定通りに過ごすつもりでいた・・・のだけれども、そうはいかない事情が、いつものようにと言いたくなるくらいに割り込んで来る。
仕方なく、行きの予定だけを変更すればどうにかなるようでもあり、カミさんに予定通りにフェリーで行ってもらって、僕だけエアで数日後に愛知県に向かうことにした。ところが、そのタイミングが移動の3週間前くらいになってしまったうと、思いのほかANAのエア・チケットはハードルの高い価格帯に鎮座していて、僕には少なからず高嶺の花といった具合だ。フェリーの乗船価格がほとんどいつ予約しても変わらないのに比べると、随分な違いだ。

結局ひとりで愛知県に向かうルートは、千歳からジェット・スター便を利用することにした。美瑛から旭川経由で札幌を越えて千歳空港に行くJRの代金(特急料金込みで4千円弱でどうにか入手可能)を足しても、旭川空港から出るANA便より随分安価に利用できる。
問題は(問題でもないんだけど)、搭乗前の制約(おもに時間的な)がけっこうあること。座席指定をしない(すると指定料がかかる)とか、最低限の手荷物しか持ち込まない(こちらも利用料を払えば解決する)とかは仕方ないとして、時間の制約はけっこう待たされることを覚悟しなくちゃいけない。少しタイトなダイヤで空港に行って、何らかのトラブルでJRが遅れようものなら、たちまち僕のフライト・チケットは無効になってしまう・・・。
そんなわけで僕は2時間少々も余裕をもって空港に到着し(こういう場合、まず間違いなく列車が遅れることはない)、あらかじめ決めておいた少しのお土産を手に入れた後、僕は多少なりとも待ち時間を持て余さないために空港内の本屋へ向かった。
いくつか気になる本をあれこれ手に取りながら、結局2冊を買うことにした。そのうちの1冊がアリス・マンローの短編集(帯によれば最新にして最後の短編集ということらしい)だ。マンローの本を読むのは初めてで、僕のわずかしかない予備知識は、2013年のノーベル文学賞作家だということくらいだった。ここ数年同文学賞は、村上春樹氏がイギリスのオッズでは掛け率最低で一番人気になっている。2012年もそうだったけれども、2013年はかなりの信ぴょう性で村上氏が同賞を受賞するとメディア各紙は伝えていたように記憶している。その村上氏を差し置いて受賞したマンロー女史は、短編の名手ということになっているらしいので、購入した「ディア・ライフ」をフライトの待ち時間に読む、というアイデアは、悪くはないと思われた。

僕はまだ1時間ちょっとある待ち時間に、最初の“日本に届く”を瞬く間に読み終えて、次の“アムンゼン”のストーリーを追っていた。60ページほど進んだあたりで、ふと空港内のアナウンスが気になった。それまでも仙台行きの、とか羽田行きのというアナウンスは聞くともなく聞いていたのだが、当然自分には関係ないし時間的にもまだ少し(これが長く感じる少し)はあるはずだということを、自分で言い聞かせてもいた。それでも本をちょっと集中して読んでいて、ふと目を上げてみると、携帯(ガラケーです)の時刻はフライト12分前になっているではないか・・・!あれ、何かおかしいぞ。周囲の人がゲートに並ぶ様子もなかったのに。そう思う僕の横を、係員の人が「名古屋行きをご利用の方は・・・お急ぎください」と駆け足に近い早足で、半分叫ぶように呼びかけながら通って行く。
そうだった!LCCのジェット・スターのゲートは、LCCに見合うべく(?)この出発ロビーの階ではなくて、1階上の3階に設けられていたのだ!!!エスカレーターを2段跳びで駆けあがり、ゲートに向かって可能な限り全力で走る。幸いアウトになるほどの時間ではない。息を切らしながらゲートを抜け、小走りで飛行機の中に駆け込んで、自分の席(18Fで窓際席だった)にもぐりこんだ。手前の小柄でブルネットの髪の女性にいったん立ち上がってもらいながら。やれやれ、マンローの短編小説が秀逸かどうかを語るほど僕は文学的な造詣は深くはないけれども、少なくともフライト時間を見失うほどのめり込んでいたのは間違いない。

フライト後、間もなく僕は浅い眠りに落ちてしまった。きっと搭乗間際の駆け足が効いていたのだとは思うが、眠りに落ちるとすぐにマンローのストーリーの中に僕はいた。主人公ではもちろんなくて、言ってみれば透明人間で声が出せないけれども、好きなアングル(樹上とか、水中とかでさえ行くことのできる場所)から展開を見てとれる立場だった。それは僕の頭がろくにないカナダの知識をかき集めた上に妄想を膨らませ、ちょっと不思議なカナダの田舎町で、もちろん登場人物もみなカナダ人(いわゆる白人)なのだ。さらには、彼ら(彼女ら)は、はっきりと僕にわかる英語で(意味も分かる英語で)話し合っていた。まぁそれは紛れもなく簡単な単語を手短に並べただけの、本当の英語とは全くの別の言語だったのは間違いないと思うけれども・・・。
ほどなく、僕はCAに起こされていた。倒れている座席の背もたれを定位置に戻すよう注意された。マンローの世界と現実の機内との狭間で頭をゆっくりまわしながら、着陸態勢に入りつつある機内の中で、1時間以上も時間寝てしまったんだな、と思った。僕が頭をまわすのをやめるのを待っていたかのように、隣(厳密には隣は空席だったので隣の隣、18D席)のブルネットの彼女が「スイマセン・・・、エート、トッキョニムカッテマスカ?」と尋ねてきた。何言ってんだこのお姉さんは、と横を見ると、ブルネットの彼女はマンローのストーリーさながらの白人なのだ。僕は精一杯の英語を駆使して、“No no, This plane will arrive at Nagoya, soon.”と答えると、彼女はいたく安心した表情になった。まだ20代前半と言った、幼ささえその表情には滲んでいた(ような気がした)。せっかくなので、日本はお好きかとか、どのくらい日本にいるのか、てなことも(あきらかにオジサンの悪趣味だと今では思うけれども)聞いてみた。真摯に受け答えしてくれる彼女だが、回答は必ずかなり解読に想像力を必要とする日本語で、そもそも僕の英語の質問は理解できにくそうではあった。多少日常で英語を使うことがないでもない僕としては、ちょっとへこんだかと言えばそうだったと思う。意を決して最後の質問、どこから来たの?を投げてみた。すると彼女はやっぱり日本語で「フランスデス」と言う。どうりで英語は今一つだったわけだ・・・、でもって彼女がフランス人形のようだったという点も、忘れることなく付記しておこうと思う。
さらにマンローの誘う世界が、現実と夢うつつとで交錯して、少しも移動時間を持て余すことなく実家に戻れたのは、紛れもなくマンローのおかげだ、ということももちろん付記すべきことだと思う。

2014年4月15日火曜日

美味しい美瑛はいかがですか?

やっと地場産のアスパラを目にするようになって来ました。まだハウスものです。懇意にしていただいている舟山農園さんの若に教えていただいたところ、今年も例年通りか少し早いくらいに露地ものも出て来るんじゃないかな、ということでした。嬉しい♪
アスパラは、ちょっと極端な表現をしちゃいますと、美瑛の(広く北海道の)春の収穫を最初にいただく象徴的な野菜ではないでしょうか・・・。何と言っても北海道らしいダイナミックな大きさと、春らしい優しい味わい。しかも紛れもなく最初に食卓に上がる春野菜です。揚げても、焼いても、炒めても美味しい優等生。お皿に鮮やかな緑を添える、アートのアイテムとしても重宝します。
そんなアスパラへの想いをカタチにしようと、宿の奥さんが集いあって「アスパラ召し上がれ企画」なるものを開催する運びとなりました。収穫体験のスケジュールがなかなか決まらないのでこの時期のお知らせになってしまいますが、楽しい企画です。
・宿泊した宿で、それぞれにアスパラ料理のお楽しみ。
・アスパラの収穫体験とアスパラのお土産付き。
  ※雨天の場合は、美瑛のJAにて選果場見学。
・丘をピクニック気分で歩いて、その名もピクニックのランチ付き。
  ※丘の散策は、あまり知られていない絶景コースをご一緒に♪
  ※美瑛町を走る路線バスにもちょっぴり乗って出かけましょう。
ざっと、こんな内容で、宿泊料金にプラス2,400円をいただくんだそうです。開催されるお宿は、「菜摘実の里」さん、「星の庵」さん、「ほおずき」さんと当館「四季」の4軒。先日この4軒のお上さんが集まって、コースの下調べと称して自分たちでピクニックを楽しんでいました。僕もランチのお届を本番さながらに担当しましたよ♪詳しくは下記まで。

http://bieisketches.blogspot.jp/


アスパラとはまた違いますが、先月から今月にかけて、あれこれ食材作りにも精を出しています。お味噌を作り、ジャムを作り、ソーセージを作り、チーズを作り(これは来月になってしまいますが)。
この「自家製へのこだわり」は多少の差はありますが美瑛のお宿のオーナーたちはみなさん意識していることだと感じます。コストのことや、手間のことや、あれこれ気になる部分もありますが、やっぱり美味しいですし、何と言っても材料全てを自分たちで地場から調達して作りますから安心です。私たちが作るちょっとしたあれこれは、たくさん出回っているいろいろな食材に比べたら、随分効率が悪いのは間違いありません。おまけにたぶん、余計なエネルギー(電気や燃料など)もかかっている可能性だって・・・。
そういったことをなるべくクリアして(効率をあげて)、自家製を続けて行きたいなぁと、この頃ますます感じています。食べることって、すごく不思議です。と言うか、食べることを知らな過ぎたんじゃないか、と考えるようになってしまう。そんなこと知らなくたって困らない(たぶん困らない)暮らしに慣れてしまったんだけれども、やっぱり知っている方がいいと言えばいい・・・。たとえば豚肉の塊を細切れにして、お塩と、数少ないスパイスを練ったものを腸詰にしたシンプルなソーセージの色・味わい・食感。うまく表現できませんが、ホッとする美味しさ、みたいなものがみなぎっています。

アスパラと自家製ソーセージのフィット感を。これまた自家製パンと一緒に・・・。僕が好きなことを、皆さんにも押し付けたいなぁ。

Heal the world.

どうでもいいこと、と言うよりも考えても仕方のないこと・・・でしょうか。もっともそんなことばっかり考えてしまうことってあると思います。今回はそんなお話しです(付き合い切れませんな、と言う方は無理なさらないで・・・)。

中学生の頃はチューリップを聞き(当時は揚水より好きでした、ちなみに今はどちらも好きです)、高校ではビートルズとR・ストーンズを聞き、その後D・ボウイを聞き、山下達郎を聞き、GONTITIを聞き、ヨーヨー・マを聞いているうちに、年末の紅白歌合戦に出場している歌手のほとんどがわからなくなっていました。美瑛に来てからビル・エバンスやパット・メセニーを聞いている僕ですが、突然見つけたYoutubeのコニー・タルボ(タルボット)が気になって、あれこれ聞いているうちにいいなと思った曲が“Heal the world”。なーんか聞いたことあるぞと探したら、マイケル・ジャクソンの名曲だったんですね。しかも何枚か購入した彼のCDのひとつ、デンジャラスにしっかり入っていて、以前にもお気に入りの曲でした。

この曲がリリースされたのは1992年(録音は1991年)ですから、もう20年以上も前になります。うっかりこの曲のことを忘れてしまっていました。マイケル・ジャクソンは2009年に50歳で夭折。まぁ何と言うか、ただ年を老いてく自分を改めて感じてしまいますね。さて、ここからあれこれと感じることがあるわけですが、まず昨年末か今年のはじめに評論家の桜井よし子氏が、今度の東京オリンピック(2020年開催予定)の頃、世界はどうなっているかという質問に対して自身の考えを語っていました。けっこうな分量だったのですが、記憶に残ったことの一つとして、アメリカがどんどん内政の方に軸足を移し、世界の警察役から距離を置くようになるだろうこと、でした。その分は、大国として頭角を現して来ている中国が担う(つもりでもある)と予想されると・・・。ここで中国がどう出て来るか、その時(あるいはそれ以前に)日本はどうかじ取りしているべきか、ということが本来は重要なのですが、そこは詳しい方にお任せして、アメリカの方に目を移します。桜井氏の説明の中にオバマ大統領の出自に関する部分もあり、これは良家の出身だとかどうとかということではなくて、今まで弱者だった層からの出身者である、ということ。弱者に基盤のあるオバマ大統領は、当然の流れとしてシリアやクリミアではなくて内政(例えばオバマ・ケアみたいな政策)にリソースを重点的に注ぎ込んで行くだろうと言うわけです。
今まではアメリカと仲よくし過ぎると、厄介な戦争にもつき合わされるからほどほどに・・・なんて言っていたのも過去の話で、今は逆にアメリカの方が僕をあんまりアテにしないでくれ、自分のことに時間もお金も使いたいんだ、と言うことになって来ています。

そんなオバマ大統領の政治スタンスは、ポップ界では20年以上も前からマイケル・ジャクソンが歌い上げていたことに、あらためてびっくりしてしまったのです。そんなの1963年にギター1本でボブ・ディランがやってたじゃないか(風に吹かれて、で)と、言うことなかれ。ディランとマイケルでは、出自が違うのです。
大成功を収めた音楽界のアーティストたちは、例えばジョン・レノンでもそうですが、イマジンみたいな作品の中で今も凶弾に苦しむ人がいる世の中に警鐘を鳴らしていますが、マイケル・ジャクソンのようなもともと弱者(貧困層とも言えるかもしれないですね)出身のスーパー・スターもやっぱり同じ世界感で曲を書いている。お金も名声も手に入れて、結局ここに行きつくのは、ある意味とても真っ当なステップなのかもしれません。ただ、マイケル・ジャクソンのこの曲とここ1年くらいの内にどんどんアメリカが市民の基本的な生活の質の向上に向かっていることとが、どうしても無関係ではないような気がするのです。

それは翻って見れば、いずれ中国にもやってくる場面(成熟の過程)なのかもしれません。国民生活やインフラ、周辺地域への緊張をある面犠牲に軍や宇宙開発に莫大な国家予算を使う今の中国ですが、案外遠くない時期に、そんなことやっている場合じゃないぞ、もっと市民の現実的な生活を直視しようじゃないか、ということになる(かもしれません)。もっとも中国はアメリカほどの多民族国家ではないでしょうから、いずれにしても最初はディランの登場となるわけですが、チベット自治区出身者がHeal the worldのような世界感で発信し始める時が来たら、大きな潮流の変化の兆しになると思うのです。

で、それがどうした、と言われると、冒頭に書いた通りどうもこうも何もないんですけどね・・・。あ、ひとつ付け加えておこうと思いますのは、当館「四季」は小さな宿で、自身のホームページ以外にPR媒体がありません。それでも、そんな当館におよそ2割の方が香港や台湾からいらっしゃいます。こう大雑把にしたら叱られるかもしれませんが、アジアのお客様が20%くらい。少しずつですがいわゆる本土の上海や青島や深センの方も増えて来ています。皆さん大の日本好き。そしてたぶん日本人好きです(ですから日本に旅行で来てくれるわけですよね)。海外の方と接する機会って、普段では考えられないくらいに、自分が日本人だと意識する瞬間です。
自分が日本人だと言うことは、これはどうにもこうにも曲げられない事実で、その自分のお国である日本のことを気に入っていただくのは、気持ちのいいことです。せめて当館のおもてなしで「あんまり日本もよろしくないな」と思われるのではなくて、ますます日本好きになってもらえるように接することが自分に課されている、と考えます。

2014年4月4日金曜日

美瑛の丘、最新情報。

ここのところ、丘の様子を書いていませんでした。ホントは一番書きたかったことなのに、1か月半くらいも脱線続きで失礼しました。

美瑛は春がやっと到来する気配があちこちに感じられ始めています。道路の雪は概ねなくなりました。これは、例年通りの几帳面な除雪作業のたまもので、道路じゃない地面には、まだたっぷり(日当たりの良しあしで異なりますが、20~50cmほどでしょうか)雪が残っています。
一番気になる丘(=畑)はと言いますと、こちらは一番春らしさが感じられる様相です。融雪剤を撒いた畑は、その融雪剤の散布された縞模様部分だけ地面が現れて、これはこれでアートに感じなくもありません。地面には秋まき小麦の芽がそのまま顔を出して、緑色が見えるケースも・・・。また多くの畑では、雪解けを待ちきれないかのように耕作の作業が始まることでしょう。丘の景色がドラスティックに変化する季節です。
一方で丘でもない道路でもない部分にも、春らしい兆候がたくさん見られます。代表的なところではネコヤナギの花と、フキノトウ、福寿草の花。それからひなたぼっこに興じるキタキツネたち。キツネやリスのような小動物は、冬はよく見かけます。えーと冬に多いと言うことではなくて、たぶん見つけやすいんじゃないかな、と思っています。春が本格的になると芽が吹き、枝が伸び、若葉が大きくなって、だんだん小動物を見つけるのが難しくなります。冬は枯葉もすべて散って一面の白銀の世界になると、彼らの隠れ場所もなくなってしまいます。

丘をのんびり歩く楽しさは、旅行者ではなくても多くの人が大好きではないでしょうか。本格的な雪解けが待ちきれなくて、お仲間と丘歩き20kmコースを満喫してきたカミさんが言うには「楽しかったー!」とか。雪に閉ざされて除雪の行き届かない道路も、おおむね通行可能になりました。冬の間は野生動物専用路(?)だった道も、いよいよ開放です。
今回は美瑛13線までバスで行き、三沢を横切って千代田の丘へ。ここでPicnicさんのテイクアウトランチを4個と、家で淹れたコーヒーを届けるのが僕の役目で、千代田の展望台でお昼タイム。がんばって拓真館、四季彩の丘、美馬牛小学校へと足を伸ばして、最後はJRで美瑛駅まで帰ってくる欲張りコースだったみたいです。いつも4月は雪解けの水で美瑛全体が水たまりだらけになってしまう様子があんまり好きではなかったのですが、少し丘に足を伸ばせば気持ち良くて、見どころもいっぱい。また大好きな美瑛を見つけてしまった・・・!

春を実感するてくてく丘のお散歩シーズンは、始まったばかり。しばらくするとカタクリやミズバショウも花を咲かせます♪

2014年4月3日木曜日

コピーって、奥が深い・・・!

この1か月ほどあれこれお誘いがあって、これと言った取り柄もないままにあちこちの「場」に出かけています。そんな時、よく出て来るお話しが「今度、こんなことやろうと思うんだけど、何かいいキャッチ・フレーズみたいなの、ないかなぁー」というもの。
現実問題として、やることの中身にはある程度自信があるのだけれど、それをわかってもらうための工夫ができない、とまぁそんな展開です。ゴールデン・ウィークに差し掛かるまで、美瑛の農家も僕ら観光業に携わる人間も時間がありますから、1年間思いためたあれこれの中から、何か始めたいってのがあって、でもそれを広く世の中に知ってもらうための適切なPRコピーが思いつかないというわけです。
そう言えば、自分自身の宿のホームページにもあれこれと宣伝めいたことを書いているわけで、あらためてキャッチ・コピーと言うことに思いを馳せてみました。そもそも僕は語彙が充実しているとは言えませんし、増してや気の利いたキャッチ・コピーとなると腰が引けると言うのがホンネです。

ところで僕が最初にキャッチ・コピーとして認識した一文は西武百貨店の「おいしい生活」でした。ふーんと・・・。でも、なぜか記憶には強く残りました。それからもリゲインの「24時間戦えますか」やJR東海の「そうだ、京都行こう」とか、すごく短いフレーズで、モノやコトの本質を見事に切り取って見せる素晴らしいコピーって確かにたくさんありました。それで、そうだ、京都行こうじゃなくて、コピーの本読んでみようと、僕的にはありがちな展開に進みます。
え、どんな本読んだらいいんだ・・・?元来PRの世界に身を置いたことのない僕にとって、キャッチ・コピーを考える(またはそのよし悪しについて判断してみる)経験がありませんから、尺度(僕自身のモノサシ)がありません。モノサシがないから、仮にキャッチ・コピーを思いついたとしても、それが良いものなのか、ダメなのか、あるいはふつう程度なのかもわからない・・・。で、2冊本を買いました。

そのうちの1冊が谷山雅計氏の著による「広告コピーってこう書くんだ!読本」。この本読んだらもう何というか目からうろこが何枚も落ちた雰囲気。最初の「何となくいいね、禁止」あたりは、そうかそうか、わかるよーってな具合で行ったんですが、だんだん息が切れて来て、真ん中くらいから、その奥の深さに溺れっぱなしに・・・。いやぁー、コピーって深いです。駅からすごく遠いところの住宅地が売れるようなコピーを考えよう、というお題があって、例として
・よく来たな、実感・いい友。
・こんなに遠いんだから、駅が出来ないわけがない。
の2つがありました。どちらがいいかはわかる人にはわかるわけですが、僕はダメな方に行っちゃう。いわゆるコピー考える人の落ちやすい穴に落ちちゃうんですね。

それからさらに、コピーに触れた瞬間「そんなの知ってるよ」と「え、わかんない」と「そう言えばそうだね」の3つのリアクションで、最後の「そう言えばそうだね」と感じてもらえるものがコピーと言うこと・・・。普遍的に出回って新鮮味のないものではないし、ごく一部の天才にしかわからないものでもなくて、あーそうそう、そう言われてみればそうだそうだ!と代弁してあげちゃうフレーズが真のキャッチ・コピー。なるほど、と。

あー、なんだか自分のホームページの文章、ぜーんぶ洗いざらい直したくなってきました。もっともそう簡単に気の利いたコピーで彩ることが出来ないことも思い知った素晴らしい本!Amazonでレビュー見てびっくり。なんと40もレビューがあって、アヴェレージが4.8。いやはや、納得です・・・。

2014年4月2日水曜日

紙の手帳を使っています。

新しい年度です。4月、いい響きですね。5月も好きだな・・・。巷では桜も満開で、なーんて季節でしょうけれども、北海道美瑛町ではそうは行きません。まだ雪の中(けっこう融けて来ましたよー)。その雪の中ではありますが、とにかく新年度が始まりました。自営業と言う職業に就いてから、新年度という概念は若干インパクトに欠けては来たものの、それでも何がしかの影響はあります。

それで記しておきたいことのひとつが、手帳のことです。携帯で何でも出来ちゃう時代になりましたが、実は(そんなこと知ってるって!の突っ込みはなしね)携帯は苦手。もちろんガラケーで(ガラケーの意味ってただ古いって感じです、僕にとっては)、携帯メールもしない(できないに近いかも)。どうしてやらない(できない)かと言えば、そこまでしてやりたくないという気分が優先していると思います。スマートにスマート・フォン使いこなしている人は、僕にとっては遠い人かなぁ。
残るのはPCですが、PCはノートでも何でもメモ取るにはあんまりいい道具とは言えない気がしています。まず大袈裟ですし、さっと取り出してすぐ使える機動力がない(随分早くなりましたが、立ち上がりが遅い)。そして何より場所や相手を選びますよね。軽快にキーを叩くのも、場合によっては良くないことだってあります。つまりいつでもこれひとつで済ますことはできない時点で、手帳の担い手としては落っこちちゃう。
で、紙ベースの手帳ですが、これ、まことにもって使い勝手がいい。
・サイズがいい。
・書いて行って埋まる実感がいい(埋めるの好きじゃないですけどね)。
・記憶にも残りやすい(これはPCに対して大きなアドバンテージ)。
長年(30年以上)使い慣れているって言うのも大きな理由(僕にとって使い勝手のいい理由)であることは間違いありませんが、飽きっぽくて新し物好きの僕が今もって愛用している数少ない生活必需品(?)のような気がしますね。

なんだか、新年度に記しておくのに手帳ってのもいまひとつ関連無い気がしてしまいますが、実は手帳で必須のアイテムが、その年度のカレンダーが記載されたリフィルです。だいたい年末頃から文具店や小ジャレたショップで手帳が出回り始めますが、このカレンダーの手帳(システム手帳)用のリフィルは、新年度スタートのものが圧倒的に多いですね。このカレンダー部分にあれこれ予定を埋めて行くわけですが、リフィルが気に入ったレイアウトでデザインがいいと、とにかく気分がいいんですよね。
なんだか手帳にかなり思い入れているような雰囲気ですが、ここからがケチなお話し。実はシステム手帳用のリフィルって、けっこういい値段します。相当シンプルな物でも500円くらいは平気でしちゃう。ちょっと気に入ったものにこだわると、800円とか1,000円の大台に届いちゃう。1年に1度のことだから(1日あたりにしたら2~3円程度なんだから)と、計算して仕方ないか、とは思えない(うーん、けち臭い)。
ちなみに手帳キャリアも長くなるので例年の傾向のようなものは感じておりまして、年度末になると20%オフとかの気の利いた(売る側も残っても仕方ないでしょうから)プライス・タグを付けたりしますが、何しろここは北海道の片田舎ですから、そんな出来事には遭遇しません。
でもって、システムじゃない使いっきりの手帳は、これが案外安価になってきている。使いっきりの手帳は古くなった(つまり使い終わった)手帳をどうするか(処分するかしないか、処分するならどうするか)が気になっちゃって、やっぱりシステム手帳タイプが好きなわけですが、ぎりぎり待っても安売りに遭遇しないし、ネットで探してもあんまりいいもの見つけられないし(やっぱり現物見て、になってしまう)、そもそも価格に納得できていないし(けっこう執拗に書いてますね)、と思っていたら、なんとネットでダウンロードして自分で印刷するものを見つけました。もちろん実物版で見ることが出来て、かなりの種類の中から選べちゃう。しかも、色合いのチョイスも可能と言うわけで、少々びっくりしてしまいました。今年度は、こちらのダウンロード版を使ってみることにしたわけです。
http://pdc.u1m.biz/?cat=6

さて、この自分で印刷版の難点は、自分でシステム手帳の規格通りのサイズに切ることと、孔を開けないといけないこと。昔どういうわけか専用の穴あけ器を購入していたのでそれを使いましたが、いくつかの大きさに対応できるタイプで、それは即ちちょっとした工夫(というか寸法合せ)しなくちゃいけないタイプ。孔は6個所あるので、ずれないようにきっちり開けるためには多少のテクと、几帳面さが必要です(3個ずつ開けるんですけどね)。えんやこら、と穴開けながら、こんなことやっているもんだからリフィルの売れ行きも伸びないんだろうなぁーとか、そもそも紙の手帳使ってる人っているにはいるけど減ってるよなぁーとか、ネットってなんでもあるなぁーとか、それこそどーでもいいことばかりが頭をよぎる中、無事に12か月分の手帳用リフィルが用意できました♪