2016年4月16日土曜日

9年前の自分へ(2)。

間もなく10年目に突入する節目(?)タイミングも手伝って、このシリーズの覚えをもう少し書いておこうと思う。前回同様自分の記憶を、それもまさに記憶だけが頼りの文面なので、何かの役に立つモノになるとは到底思えない(ので期待はさいませんようにって、誰もしてないか)。

「会社」組織の真っ只中で25年も揉まれていると、いつしか会社人生必需品が身の周りにたくさん溢れてしまう。手帳書類もそうだが、スーツとか制服(作業着ですね)とか、ビジネス用の靴とか・・・。ネクタイもたくさんありました。
幸い作業着とネクタイはもらってくださる同僚や後輩がいたので、比較的新しいものは譲ることに。さすがに靴やスーツはそうは行かなかった。ちなみに工場勤務だったので、原則作業着で出勤していた(辞める10年くらい前からスーツで、とお達しが来たが、作業着通勤は便利で止められませんでした)。なので比較的スーツ類は少なかったと思う。

それで、まぁ当然と言えば当然だが、会社を辞めた9年前の4月から、スーツとか作業着とかが必要ない暮らしが始まった。でも、それまで苦労してスーツや革靴を手に入れていたので、すごく不思議な気分・・・。ここ一番(どんな一番だ?)見た目くらいは人並みのビジネスマンになって出張しなくちゃいけない場面を想定して、恭しく(なんて笑っちゃうけど)仕舞ってあったものが、この日を境に「不用品」に転じた。
これこそ「頭じゃわかっていても、体が・・・」の典型で、そう簡単には処分する(つまり捨てる)ことなんて出来ない。あれから1年、また1年とたつたびに、もうさすがに着ないなぁと思いながら、もったいぶって2年に1着ずつ程度手放して行ったけれども、9年たってもまだ1着残っている。それは辞める前年に、初めてオーダーで作ったスーツだ。これと言って変哲もない紺のスーツだけど、生地も裏地も最高に気に入っていた。しかも「これなのか!」と思ったのは、やはりオーダー物は着心地が全然違和感なくて良かったと言うこと。確か百貨店の特別なセールで、吊るしとあんまり変わらないくらいの価格で、気に入った生地を選べるオーダーが出来たと思う。たぶん辞めてから1度だけ着る機会があったのだけれども、9年で1度だから紛れもないゴミだ。ほかにもネクタイもたくさん残った。ネクタイは気に入ったものを着ける傾向になっちゃうので、傷みの激しいものと、新品のようなものとに大別される。見た目の好き嫌いだけじゃなくて、結びやすさとかも大事なポイントだ。小柄な僕は、小さくきゅっと結べて、緩くなりにくい生地のネクタイが好きだったな。

靴もネクタイもスーツも、思い切って捨てるように努力した。また会社勤めしようとは微塵も思わなかったけれども(25年勤めた会社は好きな会社だったので、会社勤めするなら辞めること無かったしね)、惰性で捨てられない自分がいたのは間違いない。自分には困った時に相談できるトップも、力になってくれる同僚も、機転の利く部下ももういないのだ。作業着を着て、進捗状況を見に行く現場もない。そういう現実を早く身に付けようと思って、がんばって捨てたのだと思う。

この頃、もしも自分が定年まで勤めていたらどうだっただろうと思うことがある。ちょうどそんな年齢に差し掛かった。きっとネクタイもスーツも靴も作業着も、後生大事に仕舞いこんでおくような気がする・・・。それらのものと共に、自分の人生(の多く)が、停まってしまったかのように。そしてそのことに対して、自ら望んで思考も停止してしまうのかもしれない。
それはきっと、ある程度充足した毎日と言えなくもない。勤め切った、という達成感と共にあるのは間違いないだろうし、もうそれほどの時間もエネルギーもかけられる会社人生を送ることは(まぁ物理的に)さすがにできない。言ってみれば、ハイライト部分は通過した後になってしまったというわけだ。

ところが現実には僕はそういう人生を選択しなかった。どうしてだろう・・・と、不思議に思うけれども、とにかく僕は飛びだしてしまった。その結果、「ある程度充足した」気分でそれまでのビジネスマン人生を振り返る日々は手に入らなくなった。後悔・・・?しているのかもしれないけど、してないような気がする。正直なところ、人生はひとつしかないので比べようがない。で、振り返る日々を手放した代償に、明日を憂う(明日に夢をつなげる、と書くべきですね)日々を手に入れた。会社の制約を受けることはないけれども、何一つ会社が保証してくれることもない毎日は、自由でとっても不安だらけだ。
不安も9年たてば「日常」になるわけだけれども、ちっとも日常っぽく安定しない。自ら危険を冒す(ちょっと無理なことやってみる)ような毎日が続く。

とまぁ、思うがままに書いてみたけれども、もし勤めている会社を辞して何かを始めようと思っている方に、辞める雰囲気を感じていただけたでしょうか・・・?会社組織にいれば、リスクを取るのは難しいですよね。どうしたって、経験値が増えるほどに、安全地帯を求めてしまう。ところが個人になれば、ある程度リスクを取らないと、絶対にリターンへと繋げられないことを思い知る・・・。
実は少し逆で、会社に居ればリスク取ったって、会社がリスクを受けとめてくれる可能性が高いが、個人だと場合によってはリスク倒れしてしまうかもしれない。だから会社にいた方がリスクは取りやすいはずなんだけど、そうはしないですよね・・・。

とまぁそんなことも辞めてみて初めて気が付くわけで、辞めるということは、すごく決断力が必要ではあるけれども、発見と気づきの連続が待ってます。

2016年4月8日金曜日

9年前の自分へ。

2016年4月19日で、美瑛にやって来てからまる9年。ってことは10年目突入となります。なんと、は、早い。あっという間の9年とは、まさにこのことです。
で、いつになく、少々真面目なことを書き残しておこうと筆をとった(ってわけないですよね、キーボードに向かった)わけです。谷あり崖ありの9年だったと言えばそれまでなんですが、それでもまだやっている、続いている・・・。見方によっては(かなり無理した見方をしないといけないけど)、成功と言えなくもない・・・かもしれない。それで自分に対して、それから私のような人生の「チェンジ・ライフ」を考える人にとって、僅かでも役立つ(のは無理にしても、決断するための参考になるような)ことを書こうと思います。

【何が準備不足なのか、整理して把握しておこう】
9年前に戻って、自分に会ったら「どうしようもなく準備不足だぞ」と言わずにはおれません。ま、その感覚は、少なからずあった・・・。仮に9年前の自分にそう告げたとしても、さして変り映えのする準備には至らなかったと思う。会社に在籍時は、会社100%と決めていたので(自分に対する綺麗ごとみたいなものでした)、有給休暇も取らなかった。結局自分に何が一番不足していたのかは、開業して間もなく思い知ることになる。
自分の場合は、集客のための準備がまるで出来ていなかった。こと集客について言えば、今だって相変わらずの準備不足には違いない。それでも9年前の状態を思うと、正直背筋が寒くなる。

いろいろな準備へのエネルギーのかけ方は、限りがある中で優先順位をどうするか、よくよく考えないといけない。どんな仕事を始めるにしても、始める前からそんなことがわかるかい?と言うのがホントのところだろう。でも、集客(お仕事の確保)は、いくら準備したって足りている、ということはない。
会社に勤めていれば、自分はごく限られたポジションの中で勝負しているが、それ以外は他部署が担ってくれている。でも、開業したら自分が全部目配せしておかないといけない。中でも毎月決まって徴収されるランニング・コストをどうバランスさせるかについては真剣に詰めておかないとまずい。開業に際して、1・2か月は持ちこたえられるよう準備はするだろう。でも3か月目にはバランスさせるだけの「お仕事」が埋まりそうか・・・?もし怪しければ、最優先でここを何とかしなくちゃいけない。会社勤めのありがたさ、毎月決まった日に振り込まれる給与を「なんと有難い事だったんだ」と気づくのは、会社勤めを辞めてみないとわからない。


ちなみに北海道で宿泊業とか飲食業のようなサービス系で行くなら、冬の集客には要注意だ。夏は大きなパイを前に、駆け出しにだっておこぼれはある。これが秋風が吹く頃には、実力も経験も豊富な先輩たちが、それでもやっとの思いで少ないお客様をかき集めて行く。新参者におこぼれなんてない。「冬の営業どうするか、しっかり考えろー!」と9年前の自分に怒鳴りたい!!!

【経営者は、呆れるほどにカラダが資本】
替えがない。自分のような家族経営の業態でスタートしたら、もう家族には、何が何でも来る日も来る日も健康で馬車馬みたいに頑張ってもらうしかない。自分もしかり。有給休暇なんて夢のまた夢になっちゃう。
B to Bであればまだ話は別だけれども、そんな起業あるいは開業に至る向きにはそもそもこのブログ記事は無用だと思う。あくまで個人が個人にサービスを提供する場合、もう目の前に顧客がいる。多少の不手際は、場合によっては現場力(という危機回避能力、と言えば聞こえはいいが、ある面謝罪力だったりもする)で繋げることはできるが、今日はしんどいから1日、いや半日お休みしよう・・・ということにはならない。
私の場合は宿泊業なので、お客様は当日のためにスケジュールをやりくりし、北海道の少々不便な地に訪れるために、フライトチケットやレンタカーの手配まで準備万端でいらっしゃる。熟慮の末(?)当館にご予約下さったお客様がいらっしゃる当日に「あー、今日は無理。休もう」なんて、どう逆立ちしたってできっこない。

そうは言っても止むに止まれぬ事だって起きてしまう。最悪は同等以上の同業者にお願いする(差額はこちらで持つ)とか方法を考えるケースだってあるとは思うけれども、お客様に与えるダメージ(ひいては自身へのダメージになるわけですが)は、計り知れない。

幸運にも・・・、ホントに運だけだったとしか言いようがないけれども、カミさんともどもどうにか健康で、緊急の非常事態に陥ったことはない(薄氷を踏むようなことはありましたが)。このことはもう少し運に頼ることなく、健康で居続けるような習慣を身に付けないといけない。で、9年前に戻ったら「何でもいいから体を動かして規則正しく暮らしなさいな」くらいは自分に伝えたい。
さらには、早々に事業を軌道に乗せて、繁忙期にも最低限の休日を設定できたら言うことはないのだが・・・、それがそう簡単には行かないから体が資本なんです。

【なりふり構わず、当面は仲間を増やそう】
あの人はちょっと苦手だな、とかなんとなく気が合わないな、とか上手くやってるよなーとか、他人への感情は根拠もなく次々にわいてくる。増してやご近所の同業者様となれば、後発でライバル(には最初はなり得ないのですが)でもあるゆえに、お付き合いさせていただくには敷居が高い。もし上から目線でご指導でも受けようものなら、それでなくても不安でいっぱいなのに、泣き出してしまっても不思議はない・・・。
のではありますが、開業を前にこちらには経験値と言うものがない。どんなトラブルが待っているか、ほぼわかっていないわけだし、わかっていそうなことに対しても的確な対応が出来るだけの知識も技術もない。こんな時、ご近所の先輩ほど頼りになる存在は無い。気が合わない・・・なんて言ってる場合じゃない。白を黒と言ってでも(は、ちと言い過ぎかな)お付き合いさせていただいて、ピンチの時に相談に乗ってもらえるくらいの間柄にはなっておくべきだろう。私の失敗からは
・アレルギーへの対応。
・ダブルブッキングでお客様を受けてしまった。
・お客様に、けがや病気が・・・。
などなど、書き出せばきりなく出てくる。仮にこちらに落ち度がなくたって、お客様がお持ちいただくべきものをうっかり忘れて来る場合だっていくらでもある。今となっては微笑ましい想い出だけれども、現金(日本円)のみ、の当方に対して、カードと香港ドルしか持っていらっしゃらないお客様もいましたねー。
とにかく知らないことを始めてみれば、思いもよらない出来事はいくらでも重なる。そんな時、誰かに(それが複数あった方がいいのは言うまでもない)相談できる、というポジションは是が非でも確立しておきたい。仮に自分でどうにか収拾できたとしても、万一の時には相談できる立場にある、という気持ちは、絶対に持っているべきだ。9年前にここ美瑛にやって来た自分へ向けて伝えるとしたら「ごちゃごちゃ言わずに、さっさと挨拶に行って来い」かな。

【愚直な生真面目さは、報われるケースが多い】
自分自身はほとんどできていないことを書くのもおこがましいけれども、良かれと思って手間ひま惜しまずやったことは、思いのほかお客様には届いている(気づいていただいている)ケースが多い。それは案外ウケを狙ってやったことではなくて、自分のこだわりだったり、面倒だけどやらないと気が済まない何かだったりする。例えば清潔感あるたたずまい、みたいなものはある面限りがないし、手をかければ果てしない。でも、これだけは絶対やっておこう、と言ういくつかの積み重ねは、間違いなくお客様の好感度へとつながって行く。
ネット社会と言われて久しいし、お客様総てが評論家時代の今日、お客様がネットで発信するあれこれは、都合が悪いことだって食い止めようがない。むしろ逆に少しでもいいところを感じていただいて、「いい旅、いい想い出」づくりに少しでもお力になる・・・そんな姿勢でいいんだと思う。

会社にいる時、お客様がPR役を担ってくれるとは何度も聞いたセリフだが、身をもって知ることになるのは遥かに今の方が臨場感がある。「また来ました」はやっぱり嬉しいし「あの人に薦められてきました」もありがたい。誰それのブログで見て、友人のFacebookで知って、どこそこの口コミ読んで・・・。カタチは違うけれども、それは皆広告費を伴わないネット情報ばかりだ。広告費がくっついてないから、書き手は思いのたけを語る。つまりそれは信用に足る情報となって、ネットの中を駆け回る。もちろん悪い情報だって駆け回る。あそこはやめた方がいいよ、ひどいよ・・・。
いいにしろ悪いにしろ、お客様の発信する情報で、提供するサービスは丸裸にされてしまう。裸にされた時、ヤバいなんてことになるんじゃなくて、「良かった」、「また行きたい」が並ぶようなことに、きっと生真面目なこだわりは繋がって行く。

なので最後に9年前の自分へ、そしてこれから新しい「開業」という扉を開けようとしている方へ贈る言葉は「真面目にやりなさい」です。

なんだかかなり自信満々で上から目線で書いてしまったけれども(何しろ9年前の自分が読者と想定したので)、今だって足元がおぼつかないのは変わりない。また、お力があるのにも関わらず廃業された同業者さんを知る身として、まさに運だけはあったんだな、と思うこの頃だ。
もしその運を活かすことが出来た何かがあったとしたら、いろいろなことへの感謝の気持ちが芽生えたからだと思う。来てくださるお客様、一緒に労苦を惜しまず働いてくれるスタッフ、この広大な大地を相手に早朝から夜まで働いて美味しい野菜を供給下さる農家、途中下車した自分を心配して、9年たった今でもお付き合いのあるもと勤めていた会社の方々、そしてご近所さんや同業者さん、仕入先さん・・・。どうぞこれからも、変らずによろしくお付き合いください。

長文・駄文失礼いたしました!